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執筆者の写真マナビバ福岡

評論は何かを伝えたい(No.165)


国語の試験に出る“評論文”

全てその著者が何かを伝えたくて書いています。

例えば

危ないものを全て遠ざける教育は果たして良いのか?

大学生として持つべき知識とは何か?

など

何かを伝えたくて書いています。

その伝え方として

例えば

ストレートに大学生が持つべき知識は教養だ!

と言い、そのことを繰り替えし伝えるものもあれば

教養がない人生とは何かと教養のある人生と比較しながら

その大切さを伝えたりだと

その伝え方で数パターンがあってそれに慣れるだけなのです。

そして評論文の問題を解くときに大切なのは

著者の伝えたいメッセージを読み解くとともに

問題作成者の作成意図を取り込むことです。

問題は著者が作りません。

大学入試作成者です。

時には何故こういう問題を作るかを考えてみましょう。

それが指す内容を問う問題だとしたら

著者が使うそれをしっかりと捉えて読めているかを確認しています。

また傍線部に「~」とはどういうことか説明しなさい。

と問う問題だとしたら

「~」を一語一句漏れることなく同様の意味で翻訳していることを

捉えられているかを確認しています。

それは日頃の何気ない思考力を確認しているのです。

評論文が獲れない人は

まず文章内容が何を伝えているかを捉えていないか?

捉えていないとしたら問題作成者の意図に合わせて

応えられていないか?

ここに絞られます。

変に考えすぎることなく、現代文の解き方を学んでみて下さい。

これだけで点数が変わります。

日本語で書いているからといって勉強をおろそかにしているから

痛い目に合っているのですよ。

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