こんにちは。 マナビバ福岡塾長 天野貴文です.
”慶應義塾大学文学部(小論文)|2018年の解説と解き方”についてお伝えします。
①ざっくり言うとこんな問題です。
課題文の要約を300字以上360字以内で要約する問題。
そして
課題文の文章をふまえた上で「自由」について320字以上400字以内で論じる問題。
[合格点を獲るためには]
・要約の回答力
・論点に合わせた発想力が必須となります。
②設問1の解説
《ざっくり言うとこういう問題》
銃で脅された私が相手にお金を渡すという行為は能動的な行為なのだろうか?
それとも受動的な行為なのだろうか?
この能動的、受動的のどちらかで説明出来ることだろうか?
どうだろう?
ざっくりいうとこの内容についての要約を書く問題です。
まずは模範解答です。
《模範解答》
アレントのアリストテレス哲学の解釈によれば、銃で脅された私が相手にお金を渡すという行為は自発的と見なされてしまう。しかしアリストテレスの考えをよく見てみると同じ行為であっても状況や視点によって自発的とも非自発的とも言われうるという両義性に着目している。この答えとしてフーコーの権力論を参考に考えてみる。権力によって動かされる行為者は能動的でもあり受動的でもある。権力の関係は、能動性と受動性の対立によってではなく、能動性と中動性の対立によって定義するのが正しく、行為者が行為の座になっているか否かで定義される。能動性と中動性の対立がもはや存在せず、すべてが能動性と受動性で理解されてしまう、そのような言語=思想的条件があったから、フーコーは権力概念の刷新のために相当苦労しなければならなかった。
《問題の解き方》
[要約問題攻略のポイント!]
①課題文の結論を導き出す。
②結論内容とその字数に合わせて、それまでの文章構成を整理しまとめる。[/box]
この2点を守るだけでクリアです。
では具体的にどう解いていくかというと、
①まず課題文の結論を探すと、
最後から6段落以降より、
・権力によって動かされる行為者は能動的でもあり受動的でもある。
・権力の関係は能動性と受動性の対立ではなく、能動性と中動性の対立によるもの、行為者が行為の座になっているか否かで定義するものであるとした。
・フーコーが権力概念の刷新のために相当苦労しなければならなかったのも、能動性と中動性の対立がもはや存在せず、すべてが能動性と受動性で理解されてします言語=思想的条件があったからである。
ここが結論として導き出せます。
②結論までの文章構成を整理すると、
課題文の文章構成としてザっと整理するとこんな感じになります。
・アレントは自らの解釈を提示するのではなく、ただ、アリストテレス哲学に沿った答えだけを提示すると
・銃で脅された私が相手にお金を渡すという行為はアリストテレスの定義によれば自発的な行為と見なされてしまう、だろうというのがその答え
・アリストテレスは本当にそんなふうに考えていたのか?
・アリストテレスが同じ行為であっても状況や視点によって自発的とも非自発的とも言われうるという両義性に着目していた。
・「する」と「させる」の境目が問われているのであり、この事例は中動態と無関係ではありえない。
・この考えに対し、ミシェル・フーコーの権力論を参照する。
・フーコーの権力論の特徴の一つとして、権力と暴力の明確な区別がある。
・暴力関係において、暴力を振るう者は能動的な立場にいて、暴力を振るわれる者は受動的な立場にいる。暴力関係は能動と受動の対立の中にある。
・権力関係においては、権力を行使する側と行使される側の関係はどうだろうか?
権力関係においては、権力を行使される側にいる者は、ある意味で能動的だ。
・「される」のに「する」、「する」のに「される」の状態にある行為はどう形容されるべきか?
・武器で脅して便所掃除をさせるのは、武器が出てきているため一見したところ暴力の行使のように思われるかもしれない。
・しかし、行為しうる「能動性」が残されているため、権力の行使とみなされる。
暴力は「あらゆる可能性を閉ざす」
暴力からは行為を引き出すことができない。
・権力の行使は、行使される側のある種の「能動性」を前提にしている。
・権力を行使される側に見出される、ある種の「能動性」をどう理解したらよいだろうか?
暴力行使における能動性とは違う。
・権力行使における行為者の有り様を「する」と「される」の対立で説明することはできない。
権力によって動かされる行為者は能動的でもあり受動的でもある。
(あるいは、能動的でも受動的でもない。)
・権力の関係は、能動性と受動性の対立によってではなく、能動性と中動性の対立によって定義するのが正しい。
行為者が行為の座になっているか否かで定義する。
・暴力と権力をきちんと区別せず、両者を曖昧に重ねてしまう考え方というのは、能動性と中動性の対立で理解すべきであるものを、無理やりに、能動性と受動性、「する」と「される」の対立に押し込む考え方だと言える。
・フーコーが権力概念の刷新のために相当苦労しなければならなかったのも、能動性と中動性の対立がもはや存在せず、すべてが能動性と受動性で理解されてしまう、そのような言語=思想的条件があったからである。
あとはここを結論の内容と文字数に合わせて整理すれば完成です。
要約問題に慣れていないときは300字というのが字数の多いものと思いがちですが、結論を導き出してそれに合うように文章構成を整理すると意外と字数がないものと知ります。
意外と書けないものですので、結論までの文章の流れでは字数にコンパクトにまとめたものを取り入れて、要約を完成させましょう!
要約問題の解き方のコツについて詳しく知りたい方はこちらへどうぞ。
(ゆるワカ|大学合格サポート塾マナビバ福岡発行の大学合格マガジン)
③設問2の解説
「自由」について、この文章をふまえて、あなたの考えを320字以上400字以内で述べるもの。
”この文章をふまえて”というのが
大事な回答条件になる問題です。
この文章をふまえると「自由」についてどいう考えを論じられるだろうか?
設問1を解くうえで整理した文章構成をもとに回答してみましょう!
文学部の小論文の設問2の出題形式として1番多いのが”この文章をふまえて”というものです。
この場合は設問1の要約問題を解く上で設問の文章構成を明確にしておくと設問2が解きやすくなります。
設問1を解くときに少し時間を使って文章構成をまとめるのは意味のある闘い方ですよ~。
まずは模範解答です。
《模範解答》
権力の関係が能動性と受動性の対立ではなく、能動性と中動性の対立によるもの、行為者が行為の座になっているか否かで定義されるのと同様に自由の関係は能動性と中道性の対立によるものと考える。その理由として憲法上の国民の義務から述べる。まず幼少期には義務教育として中学校まではいかなくてはならない。そして両親も子どもを通学させないと最悪刑罰の対象となる。子どもは自ら行くという選択肢から行っているのと、行かなくてはいけないという決まりから行っている。親も子供にちゃんとした教育を受けさせたい思いとそうしなくては罰せられるとい
う理由から判断しているといえる。その他の納税そして勤労においても同様のことが言える。よって制限された中でその選択肢を選んでいるという点もあることから自由も能動性と中道性の対立にあるものと言える。
《問題の解き方》
まずはこの文章の結論として導き出した
権力の関係が能動性と受動性の対立ではなく、能動性と中動性の対立によるもの、行為者が行為の座になっているか否かで定義される。
ここを考えの起点に持っていき、
自由の関係は能動性と中道性の対立にある持っていき、自由を“Free”という意味の自由ではなく、“Light”(権利)という意味の自由として論じてみました。
自由を“Free”という意味の自由ではなく、“Light”(権利)という意味の自由として捉えておくことは人文・社会学部系の小論文には武器になれます。また憲法の知識も持っておくと書きやすくなります。
まとめ
慶應文学部の小論文問題は出題傾向があまり変わっておらず、10年分以上解くなど解き方に慣れることが大事になります。初めは時間がかかっても数をこなしていくうちに時間内に良い答案が書けるようになります。慶應文学部合格に向けて、数多くの問題実践に励みましょう!
この内容またこの他の慶應小論文の解き方について、じっくりまとめて読みたい方はこちらへ(ゆるワカ|大学合格サポート塾マナビバ福岡発行の大学合格マガジン)